直線
最近の建物の裏階段は、白っぽくて明るくて、まっすぐだ。
私は、そのきりっとした雰囲気がとても好きだ。
そういう教会を見たことがあるわけではないのだが、
教会みたいだ、と思う。
風邪を引いている間に、何かを深く考えることが難しくなった。
考えているのか、意識を失っているのか区別がつかない。
運命という奔流の中をあえぎながら流されていく。
運命は運勢ではない。
運命は、宿命でもない。
ここで言う「運命という奔流」とは、ドラマチックな事件の連続を指すのではなく、
本当に平凡な時間のことだ。
平凡な時間さえ、奔流であり、
その中の一厘であろうとも、自分の思うようには運ぶことができない、ということだ。
考えている内に、ふと意識が途絶えている。
論理の発端を見失う。
ちょっと考える という瞬間さえ、奔流のさなかにあり、
頭が冴えざえとして、気持ちのいい朝であっても、
人に認められて、得意になっている昼であっても、
私たちはそれをどうすることもできないのだ。
直線は、流れを抑制し、あるかなきかの考えに、行き先を与えてくれる。
どうかわたしをみちびいて。