Chair
私はおもちゃにつまづきながら、安楽椅子にダイブした。
まるで最初から自分は安楽椅子の一部だったかのような感じ。
つい先ほどまで座っていた自分の形に、クッションがへこんでいるのだ。
心なしか、クッションの温度が体温に近い。
安楽椅子は、ほしかったソファの代わりに置いたものだった。
あまりにもひどい柄だったので、上から手製のカバーをかけた。
慣れないミシンでまっすぐに縫っただけの、白とベージュのカバー。
初めての手芸店で聞きなれない布を大量に買って、店員が目を丸くしていた。
アートのことを書いた新聞記事を、かさかさに乾いたパンを食べながら読んだ。
テレビには、新進気鋭の映画監督によるアブストラクトムービー。
本当はアブストラクトなんかではなくて、わかる人にはわかるという類のもの、
あるいは、単に若ければわかるし、共感もできる映画だが、
結局私には、アブストラクトに見えていた。
アートも映画もわからない。
私がわかり得るものではなくなっていった。
そこにあるものの本質は変わらないのに、距離が変わった。
そう思った。
私が変質してしまった可能性は、まだまだ否定しておきたかった。
ソファを買う見通しは立たない。
先々を思うと息苦しくなる。
ピーナツバターに砂糖をふる。
私の舌は、小さなコインで買える安い味に慣れているのだ。
甘さが恋しかった。
双六の駒を、ずっと先の升目まで飛ばしてしまいたい気分。
途中の障害や課題を全部飛ばして、ぜんぜん違う次元へと。
ほんの少しでも、今とは違う誰かになれたら、と思った。
※このお話はフィクションです。