その、三月の眺め
LUMIX G 20/1.8
※下記文章中に□の表記がありますが、意図的に伏字にしたわけではなく、
フォーマットの問題か、特定の文字が□に化けてしまった結果です。
ひめじ の じ が□に化けています。
そのほかは雰囲気で読み飛ばしてください~!(笑)
ブラウザによっても表記されたりされなかったりするみたい。
あまり気にしないでください・・・
ひとつ前の記事から、姫路市立文学館の横の大正~昭和5年にかけて建てられたお屋敷近辺の写真を載せています。
姫路へは、3月20日ごろに行きました。
私は関東在住なので、震災そのものよりも、原発事故のことで心が重たくなっていた時期です。
元々は家族の用事ででかけることになっていましたが、
子供もいるので、原発事故の収束までは親戚の家に滞在するつもりで行きました。
そのとき、まったく先行きの見えない不安で、とても苦しかった。
せめてもの気晴らしにと写真を撮りましたが、
3月が暮れるあたりでは原発で起きていることも現状把握も気持ちの問題もまだまだどうにもならず、
やはり、いつもの仲間がいるところの方がどんなにか気が晴れるだろうかと思いました。
そして、私たちは割と早く根を上げて帰ってきました。
4月頭にはこっちにいたかな。
帰ってみると、計画停電もあったし水も買えなかったけれども、
公園では子供たちが遊んでいて、
それを見てものすごい安心感に包まれました。
帰ってこれてよかった。
そうして、もう姫路でのことは忘れました。
姫路での写真は、つい先日SDカードの整理をしていて発見しました。
半年以上、きれいに忘れていたんです。
晴れない気持ちのまま撮った写真。
今見ても、それを撮っていたときの自分の気持ちをリアルに思い出します。
はっきり言ってしまえば気持ちのいいものではなく、
ゴミ箱に入れてしまおうかとも思いました。
が、誰かに見せるものとして撮ったものだし、
自分自身の記録として貼っていくのは、無意味ではないと思い直しました。
このたびの震災や事故で、こんなもんじゃない、もっと大変な思いをされてる方がたくさんいらっしゃる中で、
こんなことをブログに書くのもどうかな、という気持ちもあったのですが、
これらの写真を貼るからには、これ抜きには貼れないという気持ちがあったので、そうさせていただきました。
そもそもそんなメッセージ性の高い写真を撮っているわけではないので(笑)
皆さんにはもっといい気持ちで観てもらえるとうれしいな。
これは石灯籠があった土台に水がたまったものなのでしょうか。。。
それとも映った空を眺めるために作られたものでしょうかね。京都のお寺でこんなの見た事があります。縁側にいて水月が見えるというもの。。。手は届かず、見るだけのものでした。